日本評論社

刑務所の風景―社会を見つめる刑務所モノグラフ

刑務所の風景―社会を見つめる刑務所モノグラフ

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おすすめ度 :おすすめ度:5.0

浜井 浩一

種類 : 単行本

高さ : 79hundredths-inches

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日本評論社

長さ : 732hundredths-inches

ページ数 : 258 ページ

発行日 : 2006-10

出版社 : 日本評論社

発売元 : 日本評論社

重量 : 71hundredths-pounds

幅 : 512hundredths-inches

発送可能時期 : 在庫あり。

価格 : 1,995円(税込)ショッピングカートに入れる


刑務所の風景―社会を見つめる刑務所モノグラフ 購入者のレビュー

排除された者がたどり着く最後の地おすすめ度:5

よく報道などで目にする「刑務所の過剰収容」の問題。これらの多くは、「犯罪の凶悪化」と言うタームで語られるのであるが、本書はそんな刑務所の中での様子を写し取っている。
刑務所の運営にとって欠かせない存在である「経理夫」。若くて健康である、と言う条件さえクリアすれば良いこの仕事につくことの出来る受刑者が圧倒的に不足している。受刑者の多くは、高齢者、障害者、外国人に暴力団関係者になる。彼らは、日本の社会から「排除された」者であり、刑務所は彼らのたどり着く最後の地となっている。
本書では、刑務所の中におけるデータとともに、著者と受刑者たちのやりとりが多く収録される。「再犯を犯すのは、反省していない証拠」などと言う言われ方をするが、出所後も社会から排除され続け、犯罪に手を染めるしかなくなった者、不景気となった際、障害などで真っ先に社会から切り捨てられた者、社会から排除されたため刑務所の中に生きがいを見出してしまった者…など、それぞれの人間模様は重くのしかかるだろう。
最後の地であるからこそ見える問題点、を強く認識することが出来る。

私自身、そのような社会を見る一つの視点と言う観点で本書を読んだのだが、単純に「普段、知らされない刑務所と言う社会の生活を見たい」と言う観点で読んでも面白いと思う。単に考えさせられる、と言うだけでなく、単純な「読み物」としても秀逸な一冊だと思う。


刑務所の処遇おすすめ度:5

刑務所には、「精神障害者」が存在する。
精神障害者は本来、医療刑務所に措置されると思われがちだが、
医療刑務所の過剰収容ゆえに、一般刑務所で処遇されることが多い。
また、医療刑務所で処遇したとしても、効果かが期待できない場合もあるという。
しかし、「効果がない」と決め付けてしまう、いや、決め付けてしまわざるを得ない状況は、
受刑者の社会復帰を妨げる要因の一つだと考えられる。

刑務所の中には、「経理夫」が存在する。
主に、刑務官の仕事を補佐する刑務である。
例えば、食事を作ったり、養護工場で障害者、高齢者の世話をしたりする。
日本の刑務官は、他のそれと比べると少ないと言われるが、
こういった受刑者が実は刑務所を支えていた。
しかし、こういった刑務作業に従事することが罪を償うことにつながるのか。
社会復帰に役立つのか。
経理夫は、刑務所内でも評価されているものがなる傾向にある。
刑務所の中では評価されても、それが社会に出て評価されるとは限らない。

本書を読んで「更生」を真に考えると難しい、と感じた。
塀の中のことで、一般の人は分からないことが多いが、
本書を通して、刑務所に対する考え方や何か感じるものがあるのではないかと思った。


ヒューマンな眼差しに共感おすすめ度:5

 物書きがネタをえるために取材させてもらおうとしても、おそらく許可されないだろう特殊な空間。それを「風景」と称した本書。司馬遼太郎の「(空海の)風景」もどきの虚実ないまぜの小説ではない。かと言って、ノンフィクションのジャンルには入れがたい。曰く「モノグラフ」(=調査・研究論文)というサブタイトルが正鵠をえているかと言うに、もう少し開かれたもの、広く一般読者を想定した著者の人間性に裏付けられたものだ。それも、この道の堅物が口を閉ざして言わないことをも冷静に記述していることに敬意を表する。役目柄、批判・告発する立場を取っているのではなく、正確に実態を知ってもらいたい一念から、本書は執筆されているとみる。
 裁く立場、監視する立場ではなく、保護観察する立場、即ちこの人の視線は優しいのだ。なぜ防げなかったのか。どうすれば防げるのか。どこを誤解しているのか。そのようなことを知的に、冷静に考えている著者の基本姿勢、その眼差しに共感を覚えざるをえない。
「じっくり話し合えば、そこにいるのは一人の人間」という見方はヒューマンであり、「なぜその犯罪がなされたか、その背景の認識」を説く理性的な人である。
 小説的具体性を求める者は「ここには生身の人間の呼吸が感じられない」と本書の抽象化されモノグラフィーを難ずるかもしれないが、それは少し見当はずれであろう。あくまでも、著者の立場の公職性の中でのヒューマニズム的訴えに耳を傾けたいと思う。


姥捨て山化する刑務所に対する静かな怒り。おすすめ度:5

治安の悪化が定量的になんら根拠のない「体感治安」の悪化に過ぎないことを明らかにした前著「犯罪統計入門」が理性の書とすれば、これは「体感治安」の悪化がどのような帰結をもたらしたか、その帰結に対する著者の怒り、哀しみが伝わってくる情の書ということになろうか。

体感治安の悪化がもたらした厳罰化への動きは刑務所の過剰収容をもたらした。政治家、マスコミそして後押ししている世論は刑務所に犯罪者、不審者をぶちこめばそれで終了と、例外的に問題となるのは刑務所から出てきたとき、再犯のときだけだが、刑務所という地点から眺めれば収容されてきたまさにそこから物語が始まるのである。

前著では白書などの定量的データから「治安悪化」の虚妄を暴いたわけだが、その問題意識は刑務所という現場で目の当たりにした現実と治安悪化言説のあまりの乖離から生じていた。つまり、どんどん刑務所に入ってくる犯罪者は凶悪化どころか社会的弱者とされる人たちこそが主だったという現実である。それは根拠なき不安に突き動かされ寛容さを失った社会は本来福祉の枠組みで対応すべき人たち(高齢者、障害者、外国人…)を不審者として刑務所に追いやる否、捨てているというあまりにも酷な現実である。そのことは前著と同じようにデータでもって明確に示されているが、本書の命はおそらくそのような定量的データではなく、これでもか、これでもかと一人一人血の通った人間として描写されている刑務所の人々の姿であろうと思われる。

この書を読み終えて、刑務所がまさに最後(そして最期でもある)のセーフティーネットとして社会的弱者と否応なく向かい合わざるをえないというある種の倒錯した状況を知ったとき、一体この社会はどんな社会なのだろうかと、それも根拠なきあくまでも「体感治安」の悪化に突き動かれているに過ぎないということを知ったとき、どう思うだろうか?そのことを考えるために読んでもらいたい。しかし、著者がその個別具体的な顔名前の一致する悲惨さを越えて、情動を抑えて、定量的データや研究でもって具体的批判を展開していることを想うと、よりいっそう政治家やらマスコミやらのいいかげんさに腹が立つのを押さえることができなくなります。